ネット情報の儚さ
一度ネットに上げてしまった情報は、消すことができない——ネットリテラシーの文脈では、このようなことが言われることがある。所謂「ネットタトゥー」というやつである。
この主張は確かに正しいものだ。しかしこれは、悪意のある人間がいて、かつ、その人間が情報をコピーして拡散したからこそ起きる事象なのである。
つまり、ネットに情報が残り続けるのは、ネットの上の誰かにとって「価値」があるもの、または、archive.orgのようなクローラが自動的に取得した場合だけで、そうでないものはネットの海の底に消えていって、最終的には誰の手にも残らない。
ある程度ネットをやっている人間ならば、この感覚がわかるはずだ。自分が以前に見た記憶はあるものの、どう検索をかけてもそのサイトを見つけ出すことができない。これは単に検索が下手な可能性もあるのだが、古いサイトであればそもそも消えてしまった可能性も考えられる。消えてしまったサイトが偶然何者かの手によってアーカイブされていればまた見られる可能性はあるが、そうでない場合はかなり絶望的である。
なぜサイトが消えてしまうか。理由は様々だが、1つ目に考えられるのは、運営者自らがサイトを意図して消してしまうことである。このような場合は、残念だが本人が見られたくないのなら仕方がない。
だが、運営者が自ら削除することよりも、運営者の意図と関係なく消えてしまうことの方が多いだろうと思う。詳しく例を挙げるならば、レンタルサーバーやドメイン料金の未払いや、サイトをホストしていたプラットフォームの終了である。
前者の原因はともかく、後者のプラットフォームの終了は結構深刻な問題ではないかと私は思う。GeoCitiesやニコニコブロマガの終了は記憶に新しい。こういったサービスには膨大な量の情報が存在していたはずだが、サービスの終了でアーカイブされていないものは全て失われてしまう。
勿論こういったサービスは営利目的で運営されているのだから、企業の気まぐれで潰えてしまうことは当然想定されることではあるが、かといって利用者の中で、そんなことをわざわざ気にしている人は少ないだろう。結果として、投稿者の知らぬ間にページが消えていた、なんてことも起きえる。
現状で、この情報の儚さを、根本的に解決する術はない。将来的には、例 えばIPFSのようなP2P技術が解決してくれるかもしれないが、今あるHTTPの全てが、P2Pに繋がる保証はない。
では私たちは今何をすれば良いか。それは、ネット上のめぼしいものを全てハードディスクに詰め込んでおくこと、である。今は大容量のハードディスクが安いのだから、とりあえず保存しておけばいい。
これは私が子供の頃から感じていたことだ——今日はどうでもいいと思っているものが、一日、一月、一年と歳月を経るととても大切なものになっていたりする。
昔、私がよく聴いていたPodcastがあった——ほとんど聴いている人がいないニッチなPodcastだったが、雰囲気が好きで私は何度も聴いていた。でも、もうこのPodcastも、その出演者の痕跡も、ネット上にほぼ残っていない。でも、私はその音声ファイルを、PCを変えてもなお保管し続けていた——インターネットが忘れてしまった彼らの声は、まだここにある。